まちょめる速報

    新選組

    1
    : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2014/01/06(月) 20:36:01.22 ID:9FOA0OR70
    理想
    no title


    現実
    no title


    息してる?


    元スレ: http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1389008161/
    5
    : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2014/01/06(月) 20:37:05.56 ID:aayAFybO0
    ガムテープの威力を舐めてた


    15
    : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2014/01/06(月) 20:39:24.50 ID:0AO6WLoD0
    >>5
    鼻水吹いた


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    okitasousi
    1: ◆CHURa/Os2M @ちゅら猫ρ ★ 2013/12/19(木) 20:49:59.67 ID:???0
    ★真相・真実を知ってがっかりした日本史の逸話・エピソード1位「沖田総司は美形ではなかった」

    日本の歴史上の逸話やエピソードは、教科書や小説、ドラマなどで語られていますね。しかし、それらの中には
    「どうやら真相は違うらしい」というものも少なくありません。真相は美談でもなければ、感動的でもない場合が多々あります。
    そんな、真相を知ってがっかりした日本史の逸話・エピソードについて、読者665名に聞いてみました。

    Q.真相・真実を知ってがっかりした日本史の逸話・エピソードを教えてください(複数回答)
    1位 沖田総司はヒラメ顔で決して美形ではなかった 28.0%
    2位 上野の西郷隆盛像は本人がモデルではない 24.1%
    3位 板垣退助は「板垣死すとも自由は死せず」と言っていない 14.6%
    4位 上杉謙信は武田信玄に塩など送っていない 12.9%
    5位 福沢諭吉「学問のすゝめ」の「天は人の上に…」で始まる冒頭は平等主義を訴えたものではない 11.9%

    ■番外編:「赤穂浪士の吉良邸討ち入りの夜、雪なんか降っていなかった」に衝撃

    ●総評
    1位は「沖田総司はヒラメ顔で決して美形ではなかった」でした。ドラマや映画ではイケメンが演じ、漫画やアニメでは
    かなり美形に描かれていますよね。ところが実際は、浅黒い肌のヒラメ顔だったという説が。ただし、現存する肖像画も、
    決して「これが実像」と裏付ける証拠はないとか。
    美形ではなかったかもしれませんが、浅黒いヒラメ顔であったという確証もないという点が、せめてもの救い!?

    2位は「上野の西郷隆盛像は本人がモデルではない」という真相。公開された銅像を見て、彼の妻が「こげんなお人
    じゃなかった」という感想を洩らしたとも言われています。西郷は写真嫌い、もしくは暗殺などの身の危険を避ける
    理由から、顔写真が出回らないようにしていたそうです。
    >>2へ続く


    http://woman.mynavi.jp/article/131219-42/

    2: ◆CHURa/Os2M @ちゅら猫ρ ★ 2013/12/19(木) 20:50:06.89 ID:???0
    >>1より
    3位は「板垣退助は『板垣死すとも自由は死せず』と言っていない」。本人の回顧録では、「驚きのあまり声も出なかった」
    と記されているそう。これについては、「実際にこれを言ったのは、現場に居合わせた自由党幹部の内藤魯一」、
    「病院で療養中の板垣が、見舞いの客にこれと似たような趣旨を語った」など諸説あるようです。

    4位には「上杉謙信は武田信玄に塩など送っていない」がランクイン。海のない甲斐では塩は輸入資源。そこで敵対する北条氏や
    今川氏は、甲斐への塩の輸出を止めるという戦略上の措置を取りました。しかし、越後は依然変わらず甲斐との塩の売買を継続。
    つまり、「贈った」のではなく「売っていた」のであり、単に以前から行われていた貿易だったといわれています。

    5位は福沢諭吉「学問のすゝめ」について。生まれや血筋に関係なく、誰もが裕福で位の高い身分になれるチャンスはあると
    いう意味では、平等を謳っているとも解釈できるのですが、少なくとも「お金の有無」や「身分の高低」で人や人生の価値が
    決まるものではないとは言っていないようです。

    年末の風物詩「忠臣蔵(赤穂浪士)」での、雪降る中での討ち入りのシーンはあまりにも有名。しかし、どうやら史実としては
    討ち入り当日の12月14日、江戸は晴天だったとのこと。ただ、前日の13日は大雪で、14日も雪が積もっており、その銀世界の
    情景から、いつしか雪が降っているというシチュエーションが加えられたのでしょう。(抜粋)

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